セミナー報告:女性の都市への権利 オリンピック開催都市での喪失
2017/04/042020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、さまざまな開発が官民一体となって進められています。
2017年2月28日、ブラジル・リオデジャネイロで、W杯やオリンピックによるファベーラ(スラム街)の立ち退きに反対する運動に参加し、都市の軍事化、人権侵害などに注目して研究をされてきたジゼレ・タナカさんをお招きして、メガイベントがもたらす都市への影響を共有するセミナー「女性の都市への権利 オリンピック開催都市での喪失」を開催しました。
下記にジゼレさんのお話をまとめました。
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ジゼレ・タナカさん
今日は2016年のオリンピック開催都市のリオデジャネイロで何が起きたかについてお話します。
リオデジャネイロは人口が約630万人の都市です。人口の20パーセントの人々は「ファベーラ」と呼ばれるスラム街に住んでいます。リオデジャネイロの年間予算は約117億ドルで、そのうち建設関連に投入されるのは約17億ドルです。このような予算規模の都市ですが、リオデジャネイロ・オリンピックには約95億ドルという莫大な額が投資されました。
ブラジルでは2014年、オリンピックに先駆けてワールドカップが開催されました。メガイベントが立て続けに開催されることになったため、貧困層への影響に危機意識を持つ人たちが集まって大衆委員会を立ち上げました。私もその委員会に参加しています。
ワールドカップはブラジル全国12都市で開催され、その1つがリオデジャネイロでした。2006年に大衆委員会を立ち上げ、メガイベントによる影響を検証した結果、たくさんの人権侵害が起きていることがわかりました。メガイベントの名目でたくさんの工事が行われましたが、そこには民主的で公的な話し合いのプロセスがありませんでした。行政と民間企業が手を組み、民衆の声を無視した形で工事が進められていったのです。
「オリンピックのため」の名目で行われた人権侵害と環境破壊
オリンピックというのは国際委員会の厳しい基準があり、それに順ずる形で施設が作られます。そのように作られた計画は美しく良くできているように見えますが、その影では民間企業の利益を追求するような人権侵害が起きていました。オリンピックパークのメイン会場の完成図は当初、非常に美しいものとしてプレゼンテーションされました。しかし、自然環境に対する影響や社会的な影響といった重要なことはまるで語られなかったのです。また、実際にかかるコストについても隠されていました。一番大事なことが秘密裏に進められていったのです。
リオデジャネイロは街中に露天商の人が店を出しています。観光客がたくさん集まる場所に物売りの人がいるというのは伝統的な風景です。しかし、メガイベントに向けて「街を美しくする」という名目で、露天商の人たちが強制的に排除されました。路上で物を売って生活している人たちから生活の糧を奪ったのです。路上での物売りの人たち、露天商の人たちは「仕事を奪うな」というデモをしましたが、当局は抗議の声を無視して暴力に訴えるような形で彼らを排除しました。彼らは、リオの都心部や観光客がたくさん訪れる南部エリアから郊外に追いやられ、お金を稼ぐ手段が乏しい場所で生活はさらに苦しくなりました。
また、リオ市が、ファベーラが集中している北部の地域からビーチのある南部エリアへ行くための直通バスの路線を廃止してしまうということも起こりました。「貧乏人は金持ちのエリアに来るな」ということでしょうか。
そして、デモ行進や抗議行動の弾圧を認める新しい法律まで成立しました。それ以降、デモ参加者が警察に捕まり拘置所に入れられてしまうといった問題が頻発しています。
そのほかにも、「黒人=犯罪者」というような偏見からアフリカ系の若者たちが職務質問を受けて身体検査をされたことや、オリンピックのための建設現場では、労働者たちがまるで奴隷労働のような環境で働いていたことも明らかになりました。
また、警察権力が住民を弾圧するという問題も起きました。ファベーラは麻薬組織の拠点で犯罪者の温床という偏見がありますが、警察は、この偏見を利用する形で「武装麻薬組織撲滅作戦」を掲げたのです。軍警察や軍隊までも導入して住民を弾圧した結果、銃撃戦が起き、その流れ弾によって住民が死亡しました。ファベーラでは、2009年から2016年の間に約2500人が犠牲になっています。ファベーラの住民によるデモ行進では子どもたちが「殺される恐怖を感じずに生きる権利がほしい」と書かれた垂れ幕をもって訴えていました。
環境への影響も深刻です。例えば、リオデジャネイロ市は、オリンピックのために、すでに市内にある2つのゴルフ場を使わずに新しい3つ目のゴルフ場を作ることにしました。そのゴルフ場が作られた場所は、もともと自然回復プログラムが行われていた環境にとって大事なエリアでしたが、それをつぶしてしまったのです。そして、新しくつくられたゴルフ場は、オリンピック終了後に取り壊されて、その場所には高級マンションが建てられました。オリンピックは「スポーツの祭典」といいますが、実際は不動産業界が新たな市場を作り出すことが一番の目的であったことは明白です。
歴史あるサッカー場だった「マラカナンスタジアム」ですが、ここでは周辺にある貧困地域の住民向けのさまざまな社会プログラムが行われていました。このスタジアムはもともと社会的にも重要な場所だったのですが、オリンピックのメイン会場となり再整備されてしまいました。社会プログラムが行われていた場所は、さまざまなショーをやるための「多目的アリーナ」になりました。アリーナの横にはショッピングセンターが建設され、社会的プログラムが行われていた場所はショッピングセンターの駐車場になっています。
私が参加した民衆委員会は、女性たちがどのようにオリンピックと闘ってきたのか、その記録をまとめた冊子を出しました。この冊子にも登場するマリアさんは路上で物を売って生活していた女性です。彼女が住んでいた場所はオリンピックのための駐車場にされてしまいました。彼女はもともとこの場所で地域の貧困層の子どもたち向けに体育教室を主催していました。しかし、この場所はつぶされてしまい、活動は続けられなくなってしまったのです。今でも子どもたちは彼女のことをしたって、また一緒にやりたいと彼女を探していると聞いています。
暴力的な強制退去・強制移住
オリンピックのためにリオデジャネイロ州の12の都市で約20万人の住民が強制退去させられました。リオ市内では約7万7000人が強制退去させられています。
強制退去のプロセスは非常に暴力的でした。まず、市の職員が尋ねてきて、その場所が強制退去の対象になっていることを告げ、社会的なプログラムとしてあなたを登録させてほしいと言います。一度登録をしてしまうと、その後は心理的な圧力をかけて出て行かざるを得ない状況に追い込まれてしまうのです。強制退去させられた人々は、当局が建てた団地に引越しをするように言われますが、その場所はもともと住んでいた場所から遠く離れていました。強制退去とそれに伴う遠方への強制移住が行われたのです。
このような強制は女性たちが一番の影響を受けたといえます。女性たちはコミュニティのなかでの連帯を築いていたのですが、それが断ち切られてしまったのです。また移住させられた先には保育園や学校もなく、子どもを抱えた女性たちは苦しめられました。約束されていた賠償金の額も非常に低く、不正義なことが行われました。
また強制退去・強制移住で家族がばらばらになってしまった例もたくさんあります。子どもたちは提供された団地に引っ越すことを受け入れたけれど、親は仕事に通うためになんとか都心に近いところで住み続けたいというように意見が分かれてしまった家族は、結果として離れて暮らすことになってしまいました。
住民による抵抗運動
オリンピック・パークのすぐ隣にあった「ビラ・アウトドローモ」は、いろんな意味で非常に大きな影響を受けたファベーラです。オリンピック・パーク建設の最初の計画ではビラ・アウトドローモの一部は残すことになっていました。しかし市長はその計画を覆し、全面立ち退きを明言したのです。結局、このオリンピック・パーク周辺地域は試合の施設ではなく、高級な高層マンションが建設されるという不動産開発のために利用されました。現在、周辺には高層マンションが林立しています。
リオデジャネイロ市の職員は、まず各家の壁に強制退去になることを示すマークをつけていきました。しかし、ビラ・アウトドローモの住民は、その後、強制退去に抵抗する力強い運動を展開します。
住民たちは「ごちゃごちゃしたファベーラを撤去して美しい街を作る」という市の意見に対抗して、自分たちでファベーラの改善計画を作り上げ、プレゼンテーションしました。このファベーラ改善計画は研究者などと共同で作ったものです。
ビラ・アウトドローモには日本でいう町内会のような住民協会があり、その代表のアルタイルさんと、2人の女性リーダーであるナウバさんとジャニーさんたちが住民をまとめて計画を立てていきました。住民協会の代表のアルタイルさんは住民から非常に信頼されているリーダーで、みんなをまとめるという役割を果たしました。ナウバさんとジャニーさんは外の運動との連携で非常に活躍しました。私が参加していた民衆委員会にも彼女たちは参加しており、市内のたくさんの運動体と共に闘うことで運動を続けてきました。ナウバさんは、大学の研究者たちを招いてビィラオウトドロムの実態をみてもらうイベントを行っています。
住民による改善計画は、オリンピック・パークと共存する形でコミュニティが存続していくというものでした。そのまま暮らし続けられるように住宅を残しつつ、必要な駐車場のスペースも設けるというよくできた計画でした。計画は市役所にプレゼンテーションをして、メディアにもアピールしました。また国際的にもアピールをした結果、ロンドンスクール・オブ・エコノミクスの都市計画の賞も受賞したのです。
当初、運動のメインはアルタイルさんでしたが、運動を展開していくなかで女性たちも力をつけていきました。女性たちは、家族やコミュニティとの話し合いや情報共有のなかから声を拾い上げ、その声を外に向かって発信していくという役割を力強く果たしたのです。ペーニャさんという女性もビラ・アウトドローモの抵抗運動のシンボル的な存在になっていきました。
住民による運動は、ビラ・アウトドローモだけの問題ではなく、オリンピック全体について見直していこうという運動に育っていきました。民衆の声の高まりは市の考えを変えざるを得ないところまで追いやりました。市は一部の家は残すということを明言したのです。
しかし、その後、市は方針を変えてしまい、強制退去を進めました。いきなり「24時間以内に退去しろ、家を壊す」という通達がきたこともありました。警察の暴力で血を流した住民もいます。ぺーニャさんも殴られました。
強大な暴力によって強制退去させられたビラ・アウトドローモですが、このコミュニティで排除に抵抗し続け、今でも住み続けている人々がいます。このコミュニティにはもともと600の家族が住んでいましたが、絶対に出て行かないという抵抗運動を続けたのは20の家族でした。オリンピックが始まる3か月前、市と残った住民の間で、この20の家族については住宅を同じ場所の一角に設けるという協定が成立したのです。彼らは今も住み続けています。残った住民はそれぞれ自分たちのコミュニティの記憶を取り戻すために家の前にモニュメントを作りました。また現在、強制退去の記憶を残すためのミュージアムを作る準備も進められています。
日本へのメッセージ
今日はそんなビラ・アウトドローモ住民のみなさんから、これから東京の強制退去の対象となっている霞ヶ丘アパートのみなさんへのメッセージを預ってきています。最後にご紹介します。ぜひご覧ください。
(以下、ビデオメッセージ)
「私たちは、リオデジャネイロのビラ・アウトドローモの住民です。私たちのコミュニティのすぐ横に、オリンピック・パークがつくられ、大きなイベントが行われました。しかし残念ながら、私たちにとって、オリンピックというものに良い思い出はありません。
オリンピックの名のもとに、私たちの600もの家族が住んでいたコミュニティがひどい暴力と心理的な攻撃に曝されました。すべて、オリンピックのために行われたことです。
私たちの抵抗の結果、20の家族が今もここに住み続けています。今、このメッセージを録画しているのは、次のオリンピック開催予定地である東京でも同じように住まいを追われる人たちがいると聞いたからです。リオでも同じことが起きました。同じ経験をするであろう人たちに連帯の気持ちを届けたいと思います。
すべてがオリンピックの名のもとで行われたのですが、実際にはオリンピックのためではなく、不動産業者の巨大開発のために行われたということをお伝えしたいです。
そんななか、私たちは抵抗を続け、20の家族だけではあるけれども、こうやってもともとのコミュニティに住み続けています。私たちのこの抵抗の成果を、この先オリンピックが行われるすべての都市の人々に希望として受け止めてほしいと思っています。
私たちは苦しい闘い、抵抗を続け、その結果、この1つの勝利を手に入れたわけです。あなたたちにも必ずできます。希望を持ち、そして抵抗を続けてほしいです。そのことをメッセージとして伝えたいです。」
「私たちビラ・アウトドローモのコミュニティに対して本当にひどいことがおこなわれました。非常に大きな暴力にも曝されました。オリンピックは長い歴史のある私たちのコミュニティを破壊していったわけです。オリンピックのためにといいつつ、実際にはデベロッパー、不動産開発のためであった、それは本当に明白なことで、そのために私たちの生活をなぜ差し出さなければいけなかったのか。それを訴えたいです。
私たちのこのメッセージ、これから次のオリンピックで住む場所を追われる人たち、みなさんさんへの支援の気持ちを届けたくて、このように録画しています。力を合わせ、抵抗していきましょう。私たちは霞ヶ丘アパートの皆さんを応援しています。霞ヶ丘の皆さん、抵抗を続けてください。応援しています。」
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