優生手術への謝罪と補償を求めて――「旧優生保護法によって優生(不妊)手術された被害者のお話を聞く会」開催
2017/09/28 日本には「不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とした「優生保護法」(1948年制定、1996年「母体保護法」に改定)の下、本人は同意していないにも関わらず、強制的に不妊手術を受けさせられた人たちがいる。遺伝性の精神病や遺伝性疾患をもつ人には「その疾患を防止するため優生手術(不妊手術のこと)を行うことが公益上必要と認めるとき」には、医師が申請し、優生保護審査会が認めれば、本人の同意なく強制的に不妊手術を行うことが認められていたのだ。
2017年9月26日、旧優生保護法による強制不妊手術の実態解明と被害者に対する謝罪と補償を求めて活動する「優生手術に対する謝罪を求める会」(以下、求める会)が院内集会「旧優生保護法によって優生(不妊)手術された被害者のお話を聞く会」を開催した。同日午後に4回目となる厚生労働省(以下、厚労省)との面会があり、それに合わせて東京を訪れた被害者とその家族らの声を聞く会だ。
「優生保護法」が「母体保護法」に改定されて約20年が経ったが、国は強制不妊手術について、当時、優生保護法は合法だったため、その法律に基づく手術については謝罪と補償の必要はない、と主張し続けてきた。しかし、2016年3月、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)は日本政府に対して、強制不妊手術の調査、被害者に対する賠償、加害者の処罰の実施を勧告している。この勧告を受けて塩崎恭久厚労大臣(当時)は国会で「厚労省として適切にしっかりと対応したい」と答弁し、同年4月から厚労省と被害当事者の飯塚淳子さん(仮名)、求める会による優生手術被害調査のための話し合いが始まった。
集会では、利光恵子さん(優生手術に対する謝罪を求める会・世話人)から優生保護法について、①日本には、1948年から1996年まで優生保護法という法律があり、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことが目的として掲げられていたこと②その法律の第四条、第十二条には障害を理由とした強制的な不妊手術について、本人の意思に沿わない、また、拒否した場合でも強制的な手段で優生手術をしても良いということが書かれていたこと③その法に基づいて約1万6500人が強制的な不妊手術を受けさせられたこと④そのうち約7割は女性だったこと、などが共有された。
約1万6500件の優生手術のうち全国で2番目に件数が多いのは宮城県だ。現在、その宮城県で手術を受けさせられた飯塚さんと佐藤由美さん(仮名)の二人が自らが被害者であると声を上げている。利光さんは「統計上の数字ではなく、もっとたくさんの被害者が声をあげられずに苦しんでいると思う。だからこそ、いま声を上げている二人の声をできるだけ広く多くの人に伝えて、なんとかこの問題を被害者への補償につながるように動き出したいと思っている」と集会の趣旨を説明した。
優生手術は、1955年がピークだったが、1973年と1974年にも行われており、ごく最近まで強制的な不妊手術があったことがわかっている。飯塚さんは1963年に、佐藤さんは1975年に手術を受けさせられた。優生保護法は1996年に「母体保護法」に変わったが、国は過去の人権侵害行為について責任を取ろうとしていない。
2015年6月、飯塚さんは日弁連に対して人権救済の申し立てを行った。それを受けて2017年2月、日弁連は「旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶に対する補償等の適切な措置を求める意見書」を公表し、優生手術は憲法違反であり被害者の自己決定権とリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)を侵害したことを指摘し、国に対しては被害者への謝罪や補償等の適切な処置をとることを求めている。
集会では、優生手術の被害者である佐藤由美さんの義理の姉である佐藤路子さん(仮名)が、由美さんの被害について話した。
由美さんは自身が手術を受けたのは17歳頃だと路子さんは義理母から聞いていたのだが、情報公開によって実際には1972年12月で、15歳のときだったことがわかった。医師による手術申請の理由は「遺伝性精神薄弱」となっていたという。しかし、路子さんによると、同じ障害をもつ家族はおらず、療育手帳にも生後受けた手術の麻酔による障害と記述されており、なぜ「遺伝性」であると診断されたのか疑問だ。
佐藤さんが宮城県に対して優生手術の記録の公開を求めた結果、2017年7月に県は記録を開示したが、開示されたのは「優生手術台帳」のうち2ページのみだった。同年1月の宮城県に対する申し入れの際に担当者は、1970年以降は優生手術に関する書類は永久保存になっていると説明している。つまり、優生法審査会の会議議事録など優生手術に関する書類はすべて残っているはずだ。路子さんは「存在すると言いながら、公開請求をすれば”ない”と言う。役所から誤魔化すつもりなのか。絶対に許さない」と話し、「厚労省からは宮城県に対して記録を公開するように指導をお願いしたい」と訴えた。そして、障害をもって生きることについて「母はよく、妹の福祉の手続きをしに役所へ行くと『今度は何が欲しいの?』と言われたと話していた。かなり嫌がられていた時期があったようだ。現在でも障害者に対する役所の窓口での対応には嫌な思いをすることがある。障害をもっていても楽しく明るく生活できるよう支援してほしい」と結んだ。
利光さんは「佐藤さんをはじめ被害当事者たちが声を上げ始め、国際的な批判も出ているこの時期を逃してしまうと、この問題が完結に向かうのは更に難しくなるだろう。がんばりたい」と述べ、集会参加者に今後の協力も呼び掛けた。
濱田すみれ/アジア女性資料センター