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【北京報告】⑫会議の終わり、しごとの再スタート(最終回)

2005/03/15

北京+10報告

3月11日 会議の終わり、しごとの再スタート(最終回)

なぜか最後になってネットがつながらず、最終日の報告が遅くなってしまいました。もう報道されているかもしれないが、結果的に10本の決議案はすべて合意により採択となった。いろんな理由から内容に不満を持つ人はいるだろうが、アメリカが提出していた2本も、各国の介入によって原案よりもだいぶ視野は広くなったし(「経済」の決議は最終的に「起業」がタイトルからはずれた。よかった!)、まあそれほどよくも悪くもないところで落ち着いたといえるのではないだろうか。

とはいっても、実は私は、最終日の議論の流れはほとんどフォローしていない。この時点では政府間交渉も最終段階で、NGOにできることは――とくに日本のNGOには――ほとんどない。それに、よっぽど悪い決議文にならない限り、あまりこれにエネルギーをそそぐ意味もないのではと思うと、昨日あたりから気持ちは会議場から遠のいてしまった。

そういうわけで、この日は朝からいくつかのNGOとミーティングやインタビューの予定を入れていた。久しぶりに会った人と話し込んだり、壊れてしまった靴を修理にいったりと、なんとなくのんびりして4時頃に開場に戻ると、昨日までメインの会議場だった部屋はがらがら、NGOの姿も見えない。最終議事を総会議場に移して行っているらしいが、もう傍聴席は満杯で入れないといわれたので、報告をのんびりと待つことにしよう。

思いがけずにぽかんと空いた時間で、NGOの使っている小部屋に集まってきた、タジキスタン、ソマリア、アメリカなどからの参加者と話す。みんな、厳しい、暴力的な状況の中で闘っている。だからここにきたのだ。国連が、行動綱領の文言が、女性たちの現実とかけ離れているように見えるとしても、そうさせないように政府や国連機関に責任を要求するのが、国に帰ってからの私たちNGOのしごとだ。

いつものリンケージコーカスの時間になっても、いくつかの決議の採択が終わらず、集まった人数はいつもより少ない。シャーロット・バンチの司会でNGO声明の文言の最終確認。全体的な評価としては、世界女性会議ではなく通常のCSWで行われたこと、情報へのアクセスが制限され、官僚的な場に対する失望、いらだちも強い一方で、行動綱領をゆがめ弱めようとするアメリカの単独行動主義がどこからも支持を得ずにブロックされた成果を確認し、MDG会議などで国連にアカウンタビリティーを要求するとともに、より独立した女性たちのフォーラムをつくっていこうと話された。

6時半過ぎ、日本政府代表部のブリーフィングに遅れて参加。代表団の目黒依子さんは、今回、北京や北京+5のときのような対立構図が見られず、イスラム諸国がアメリカとともに行動綱領に対する攻撃に加わらなかったことを指摘。ジェンダー平等が開発の不可欠な一部であるという認識が、途上国の間に定着していることを肌で感じたといわれる。また日本政府とNGOとの情報交流が不足していることへの不満に対しては、政府だけを責めることはできない、2000年のときに比べてNGO側の準備も不足していた、日頃からの政府との交流が必要だと、率直に述べられた。

期間中、他の国のNGOと政府をみていると、日本が一周遅れのランナーであることを何度も痛感させられた。山谷えり子議員の質問は、あきらかに行動綱領の正当性を否定することを狙ったものだったが、それでも公式の立場としては、日本政府は不平等なジェンダー役割、女性の性と生殖の権利も含めて、行動綱領を再確認し実行することを約束したわけだ。次は運動の側で、バックラッシュをはねかえし、政府にアカウンタビリティを求め、NGOを強めるための戦略をつくらなければ。帰ってからがほんとうのしごとの再スタートだ。

直前まで来るかどうか迷い、来てみてからも準備や知識の不足を悔やむことの多い会議だったけど、結果的に、来てよかったと思っている。古い友人と会い、新しい仲間と出会って、たくさんの刺激とアイデアをもらった。いまはひどい時代だけど、やっぱり前向きな変化を見たい。22日の報告会が、これからに向けた戦略づくりのスタートになりますように。ものすごく偏ったレポートでしたが、おつきあいくださってありがとうございました。

本山央子

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