特別公開「女たちの21世紀」No.94 生活から問う改憲と天皇制 「特集にあたって」
2018/06/18*「女たちの21世紀」No.94【特集】生活から問う改憲と天皇制に掲載した「特集にあたって」(竹信三恵子)を特別にウェブ公開します。
特集にあたって 身内に埋め込まれた病根との闘い
改憲、天皇制、というテーマは、何か「頭のいい人たち」が論じ合う「あっちの話」と受け取られがちではないだろうか。それは本当なのか。むしろそれは、私たちの体の中にしっかりと埋め込まれた、あまりにも身近で日常的なものなのではないのか。
そんなことを考えたのは、新聞記者時代、労働報道と性差別報道のやりにくさに苦しみ続けてきたからだ。
1970年代くらいまで、ある意味、「花形」だったこのテーマが、記者たちが書かないテーマに変わっていったのは、1980年代半ばあたりからだったろうか。そのころ、こうしたテーマを扱ってきた著名な先輩専門記者たちが、十分な紙面をもらえなくなったり、記事が掲載されないことに憤って退職したりしていった。
それなら自分が書くしかないと腹を決めたのは、新聞社という男性社会の中での女性の働きにくさと、その陰にある性差別の土壌に悩まされてきたからだった。だから、これらのテーマは、私にとっては最も主要な「社会問題」だった。だが、ある上司はこう言った。「労働だの女性だの、そんなもの評価の対象にならないからな」。
なぜここまでこれらの問題を嫌悪するのか、と首をひねって、そのときわかった。働くことや性差別の問題は、あまりにも私たちの基盤でありすぎるのだと。
働くことを問えば、会社から、日々の生活の糧を断たれるかもしれない。性差別を問えば、家庭内での危うすぎる均衡が、揺らぐかもしれない。一見、豊かな日本での地震の地割れのような足元からの不安感。だから、加害側も被害側も、口を閉ざしたがる。
改憲と天皇制問題は、それに似ている。
天皇制は根深い家父長制と差別性を、いまも私たちに繰り返し刷り込み続けている。いまの憲法のいくつかの条文は、それらを押し返す力を持っている。
たとえば家庭の中の男女平等を規定した24条は、家庭内での日常の権力関係や、女性依存の低福祉社会という日本の財政構造まで問い直してくる。21条の表現の自由や、25条の生存権を問われれば、私たちが「どこかのだれか」に対して押し付けてきた原発や基地による深刻な被害の事実に耳を傾け、これに正面から向き合わなくてはならなくなる。
9条は、戦争に国家予算を注ぎ込み、国威発揚へとのめりこんだ戦前の公金の使い方を転換させ、民生のために使う方向へと社会を転換させようとした。そのことを通じて、他のさまざまな条文が約束したことの実現を資金的に裏打ちする存在となりうるものだった。
そんな視座からいまの公金の使い方を問えば、首相の支持者のための大幅な土地の値引きや、米国の要求をうのみにした野放図ともいえる武器購入は、厳しく問われざるをえない。あー、うるさい、うるさい。だから、改憲!
改憲と天皇制は、差別や人権侵害で支えられた社会のありようや、私たち自身の立ち位置について、そのままでいいんだよ、それがフツーなんだから、と甘い声でささやきかける。だからこそ、私たちは、身内に巣食って離れないその病根を取り除く闘いへ向け、まず、病根を見つめ直すところから始めてみたい。
それは「あっちの話」ではなく、生活の中にある、足元の話なのだから。
竹信三恵子(ジャーナリスト、アジア女性資料センター代表理事)
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