「侵略の歴史と加害の展示撤去」の「ピースおおさか」のリニューアルオープンに抗議する!
2015/06/23『女たちの21世紀』最新号「フェミニズム視点で問う 戦後70年」特集号(詳細)の国内ニュースにもご執筆いただいた森一女さんより、歴史博物館「ピースおおさか」のリニューアルについてニュースをご寄稿いただきましたのでご紹介します。
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「侵略の歴史と加害の展示撤去」の「ピースおおさか」のリニューアルオープンに抗議する!
国内外に自負するピースおおさかの設置理念
1991年9月、大阪城公園の片隅に、市民団体、労働団体、人権団体などの強い要請で、大阪府・市が出資する(財)大阪国際平和センター「ピースおおさか」が設立された。その設置理念は「第二次世界大戦において、大阪では50回をこえる空襲により市街地の主要部が廃墟と化しました・・同時に、1945年8月15日に至る15年戦争において、戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大の危害を与えたことを、私たちは忘れません・・・ここに大阪国際平和センターを設置するものであります」であった。
リニューアル構想から、「ピースおおさかの危機を考える連絡会」立ち上げへ
2011年橋下徹・現大阪市長が率いる「大阪維新の会」が府議会と市議会で第1党となり、同年秋の議会で自民党と共に、「展示が自虐的である」「偏向した展示物が多すぎる」などと追及し、かねてよりの予算大幅削減に加え、運営上かなり厳しい状態に追い込まれた。
2013年2月15日付毎日新聞は「大阪府は『大阪国際平和センター』における展示内容について、南京大虐殺など旧日本軍の加害行為に関する展示を14年度に撤去し、大阪空襲に特化することを明らかにした」と報じた。3月、館長引退の折に、アルバイト一名を除く、全職員の首が挿げ替えられ、2014年には、公益財団法人移行に伴い、それまでピース運営に市民の側から協力してきた「運営協力懇談会」や「平和研究所」などが、一方的に閉鎖された。
「南京大虐殺60ヶ年大阪実行委員会」は、3月の毎日新聞掲載をきっかけに、関係各団体に呼びかけ、ピースおおさか元事務局長の有元幹明さんを迎え、緊急学習会を開催。学習会を受けて「南京大虐殺60ヶ年大阪実行委員会」「子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会」、「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」、「『日の丸・君が代』強制反対ホットライン・大阪」、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部」、「新聞うずみ火」、「大阪空襲訴訟原告団・弁護団・支える会」などの戦後補償問題などに関わる市民グループのメンバーが一堂に会し、「『ピースおおさか』の危機を考える連絡会」を立ち上げた。その直後、「ピースおおさか展示リニューアル構想」が公表され、リニューアル後の展示内容として、大阪空襲に至る戦争の事実関係、特にアジアへの加害の事実に関する展示が見当たらなかった。これは明らかにピースおおさかの設置理念に反することであり、ピースの危機であり、日本の戦争の真実と戦争責任を追究してきた運動体にとっては見逃せない由々しきことであった。
「ピースおおさかの危機を考える連絡会」は、12,016筆の署名をバックに大阪府・市の担当課との話し合い、記者会見をし、他の多くの市民団体と共に「ピースおおさかのリニューアルに府民・市民の声を!実行委員会」に参加、ピースおおさかの館長との学習懇談会、交渉、議員へのロビーング、議会傍聴を重ねた。会独自でも同様の事を行ったが、なかなかその声は届かず、行政の担当者もピース側も、壊れたレコードのように「監修委員会に伝えておきます」と繰り返すばかりであった。
また、大阪空襲訴訟・重慶爆撃裁判原告、元日本軍兵士の証言から日本が起こした戦争の加害と被害の実相に迫り、自衛隊の実態や憲法問題などの連続学習会を重ね、運動の深化と、賛同の声を広げていった。
「危機会」主催の抗議行動
戦後70年の節目の年である2015年の4月30日、「ピースおおさか」の展示が、多くの市民団体の懸念の下、リニューアルオープンされた。当日、私たち「ピースおおさかの危機を考える連絡会」は、午前はピースおおさかの裏入り口前で、10時からの(市民を排除した)松井大阪府知事(橋下大阪市長は現れず)はじめ関係者出席のリニューアルオープンセレモニーと、その後の議員向けの内覧会に向けて、午後はピース玄関前で、アンケート行動、2時から、ピースおおさかリニューアルオープンに対する抗議行動を行った。
リニューアル展示の問題
これまで1階で一室を使っていた「展示室B・15年戦争」が全面撤去され、その代わりに、「世界中が戦争をしていた時代」というあいまいな見出し、「なぜ日本はアメリカと戦争をしたのか」という映像(“日本は権益を守るためやむを得ず他国と戦争をしてきた“という戦争遂行者の説明)に変えた。そこでは「侵略」という語は一度もなく、アジアの被害はもとより沖縄・広島・長崎など日本の被害の実態すら出されていない。
「こんな大きな防空壕はなかった」という空襲被害者からの批判が出た「防空壕」体験コ-ナ-は、当初からの橋下市長の強い要請があり作製強行。「大阪空襲中心」の方針は “侵略の歴史を撤去するための口実”だったと言っても過言ではないだろう。
また、旧展示Bの「朝鮮」のコーナーに『供出と徴兵』と言うタイトルの文章の末尾にかろうじて掲載されていた「そのほか、多くの朝鮮人女性を『慰安婦』とし、戦地・占領地で性的苦役を強いた」という文言すらなくなっている。もちろん今世界的に注視されている日本軍「慰安婦」被害女性などどこにも見当たらない。
「戦争の時代、子どもたちはどう生きたか。栄養事情が急速に悪くなるなか『立派な少国民』として、戦争に協力し、空襲にも精一杯対応した子どもたちの姿を知ろう」と言う言葉で始まる「戦時下の大阪のくらし」では、「奉安庫」や「教育勅語」を展示し、大政翼賛体制の下で、「皇国少年」として子どもたちが侵略戦争に駆り出されたことには触れず、戦争を賛美する表現となってしまっている。
また「ピースおおさかの設置理念」は、「展示のしおり」からも削除され、来館者には全く目に触れることのないものにされてしまった。(HPからも、ダウンロードしないと見られない)
安倍政権と70年談話を睨んで「侵略と植民地支配」はキーワード
当日会場で、松井知事は、アジア侵略展示の縮小について記者から質問をされ、「縮小はしていません。・・・感情を煽るのが目的ではなくて、事実に基づいた資料等々を客観的に、冷静に見れるように展示しております」と答えた。日本の過去の侵略と植民地支配の歴史は、そして南京大虐殺、日本軍「慰安婦」の史実は、彼にとっては「感情を煽るもの」「事実に基づいた資料もない虚構」なのだ。この歴史修正主義は、現在の安倍首相と全く同じものであり、「ピースおおさか」リニューアルは、現在の政府の反動政策とも連動し進められてきているのだ。
今後、学校見学が続く中、「府民・市民の声を!実行委員会」は、「見学の手引き(仮)」作成に全力を挙げている。危惧されていた「集団的自衛権」の展示こそなかったが、今後どうなっていくのか?
都構想が否決されたと言っても、私たちも抗議の手を緩めることはできない。目下会議で奮闘中である。
ピースおおさかの危機を考える連絡会 森 一女