【特別掲載】 「新翼賛体制」にどう立ち向かうか 竹信三恵子
2016/07/01【『女たちの21世紀』86号(2016年6月発行)掲載記事より特別にウェブ公開しています】
「新翼賛体制」にどう立ち向かうか 竹信三恵子
はじめに
どこかへ行こうとすれば、いまどこにいるのかを知らなければならない。だが、私たちはいま、自分たちがどこにいるのかさえわからなくなっている。報道管制が静かに進み、社会の底流で何が起きているのかさっぱり見えなくなった。そんななかで美しげな政治スローガンばかりが飛び交い、同時に、そのスローガンを裏切る政策が裏で推進され続けている。代表例が女性政策だ。「女性が輝く社会」が日々叫ばれる一方で、保育や介護などの公的サービス、一日の労働時間規制など、女性活躍の大前提ともいえる基盤は大幅に崩されつつある。にもかかわらず、「輝く」の連呼に幻惑され、与党に吸い寄せられていく女性は目立つ。なんとなく、みんな与党。そんな異論が言えない社会に、私たちは雪崩を打って転がり込みつつあるのではないのか。こうした「新翼賛体制」に歯止めをかけるために私たちは何ができるのか。真剣に自問すべき時が来ている。
新翼賛体制の標的としての女性
ヨクサンってなんのこと、と首をかしげる人は多いかもしれない。第二次大戦のさなか、長期化する日中戦争を国家総力戦体制によって乗り越えようと、当時の近衛文麿首相を中心に新体制運動が展開された。政府対軍部、といった支配層の内部対立の解消や、国民の自発的な戦争協力へ向け、1940年、首相をトップとする大政翼賛会が結成された。「戦争に勝つ」を理由にした政府への無批判な一体化が健全な異論を封じていった。そんな状況を「翼賛体制」と呼ぶ。いま、周囲を見渡すと、こうした翼賛体制が、新しい形で生まれているように思える。
2016年2~3月、スイス・ジュネーブで、国連女性差別撤廃委員会による日本の女性差別撤廃条約実施状況が審査された。「従軍慰安婦」問題が大きなテーマのひとつとなったこの委員会の場に、今回は、拉致事件に抗議するバッジをつけた男性や、「なでしこの会」と名乗って「慰安婦」問題を批判する女性グループのメンバーが多数、出没した。彼ら彼女らは、日本から参加したNGOメンバーを無断で撮影し、ネット上で「左翼」「小汚いNGO」などの誹謗メッセージとともに公開している。同委員会に先立ち、政府が2月上旬に東京で開いた説明会には、右派とみられる男女が多数参加し、会場からの質問をほぼ独占する形で「従軍慰安婦」問題攻撃を繰り広げた。男女平等を求める場が、これを批判する場にひっくり返ったような瞬間だった。さらに、3月中旬からニューヨークの国連本部で開かれた国連女性の地位委員会(CSW)では、「慰安婦」問題についての日本の加害責任を否定する団体が「女性NGO」としてイベントを開催した。
この5月に開かれたセクシュアルマイノリティの集会「東京レインボープライド」では、夫婦別姓などに否定的な考え方を繰り返し表明してきた自民党の稲田朋美政調会長が登壇してあいさつした。稲田氏は同党内でLGBT問題への取り組みを推進するという。
一連の動きは、何が狙いなのか。
ひとつは、野党の掲げてきた政策スローガンを奪う「抱きつき作戦」で、次の参院選の争点ぼかしを図ること。また、現政権の柱のひとつである新自由主義的経済人たちにとって、女性やLGBTは消費者として、労働力として、市場の行き詰まりの打開に役立つ潜在的資源だ。この資源を政権の側につけて、徹底利用を図ること。
そして最後が、改憲に必要な多数を取るために、幅広い市民社会の抱き込みが始まっているということだ。安倍政権は、女性の支持率が一貫して男性を下回ってきた。改憲への道を整えるには、有権者の半分を占める女性層の取り込みは必須だ。そのためには男女平等に批判的なメンバーを女性運動の場に送り込むことで、その分断を図っていく必要がある。
多くの女性団体や市民団体は改憲に批判的な立場を取ってきた。これらのグループが目指す人権や平等、生活の向上を実現するには、人間を消耗品として使い捨てる戦争を避けることが不可欠だ。とすれば、平和憲法を守ることなしに目的は達成できない。こうした敗戦の教訓が薄れてきたいま、「憲法などという一銭にもならないもの」にこだわるのをやめ、政府に協力すれば、各団体の掲げる目先の個別課題は実現させるという取り引きを持ち込めば、乗る人々も出てくる。こうして、社会運動を改憲反対から引き剥がしていく作業がひそかに進行していると考えれば、わかりやすい。
「女性活躍」はおいしい
「女性が輝く社会」の名の下に進められている女性活躍政策は、これらの3つの狙いに適合している。まず、男女平等の実現は野党の政策と考えられてきたので、これを標榜することは「抱きつき作戦」として有効だ。また、次の潜在的資源としての女性利用の徹底にもかなっている。
日本は2012年、中国に抜かれてGDP世界3位に転落した。安倍政権は「アジアで一番」でなくなった喪失感を「強い日本を取り戻す」のスローガンで穴埋めしようとする。そのために、女性の動員は欠かせない。少子化による労働力不足の中での低賃金労働力として、家庭内で育児や介護を引き受ける無償労働の担い手として、女性ニーズという新しい消費の柱として、最近では末端自衛官として、あますところなく女性を利用することが、国力の増強には大きな力になるからだ。
3つ目の改憲反対からの引き剥がし策としても、これまで無視されがちだった女性に焦点を当てることで女性たちの承認欲求を満たし、遠くの憲法より現実の女性の地位向上、という層を生み出すことができる。
第二次安倍政権の個々の女性政策を追っていくと、これらの構造が浮かび上がってくる。
高年齢出産への不安をあおって早期出産を迫るものとして批判を浴びた「生いのち命と女性の手帳」(仮称)や、「希望出生率1・8%」の目標設定は、「強い国家」のための人的資源の増強へ向けた女性の動員策だった。だが、これには、「産めないのは若い世代の低賃金のせい」「保育所が足りない」「長時間労働をどうしてくれる」といった女性たちからの批判が盛り上がった。次に飛び出したのが「待機児童の解消」へ向けた保育園増設策だった。これは歓迎された。だが、施設の増加に見合う保育士が集まらないという新しい問題が起きた。保育士の待遇が低すぎて、資格を持っていても働きに出てこないからだ。とはいえ軍事費の増加や法人税減税などの中で、保育士の待遇改善には容易に公的資金を回せない。打開のため、20時間程度の研修による促成栽培の保育支援員制度が設けられた。また、2016年度から、外国人家事労働者を特区に導入してベビーシッターなどの形で在宅保育にあたらせる策も打ち出された。これらの低賃金労働によって、働く女性たちが自力でサービスを購入し、人材ビジネスなどの企業のビジネスチャンスを増やすことでGDPを引き上げ、社会保障費も抑え込む構想だ。
介護報酬も引き下げられたが、ここにも低賃金の外国人実習生を充てる策が打ち出された。
すでに女性政策の外側では、「高度プロフェッショナル人材制度」が国会に提案されている。「高年収で専門的」な働き手を労働基準法の1日8時間労働規制から外す政策だ。適用基準を引き下げていけば、将来的には多くの女性が8時間労働の適用外となり、「柔軟に」働かせることができる。こうした層には、外国人家事労働者のサービスを自力で購入させることで公的保育にかける税金を節約できる。一方、2015年には労働者派遣法が改定され、不安定な派遣労働者が固定化されることになった。派遣女性は、出産すれば契約を解除して派遣会社に戻せば、産休・育休についての会社負担は避けることができる。
社会保障も企業負担も抑えて、自己責任で子どもを育てつつ働く女性労働者が手に入り、女性の承認欲求が満たされて政権の支持に回ってくれれば、まさに、フリーライドの女性動員となる。
その仕上げが、マスメディアによる情報操作だ。問題点の報道を抑えて「女性活躍」を連呼させれば、女性はすでに活躍しているかのような錯覚が社会に生まれるからだ。NHKの会長人事や、報道番組の有力キャスターの降板をはじめとするメディアの抑え込みが、ここで威力を発揮する。マスメディアだけではない。メディア研究者の桂敬一氏は、自民党が2013年に「Truth Team」(T2)女たちの21世紀 No.86 2016 6月 8という組織を設置し、ネット上で自民候補の応援をすると同時に自民党とその候補に対するネット内の書き込みを監視・分析を行い、誹謗中傷を発見したら削除要請や法的手段を取ることを始めている、と述べる(「月刊マスコミ市民」、2016年5月号)。ネット言論の監視強化だ。
等身大の私たちを確認する窓を
一連の政策の背景にある安倍首相の究極の狙いは、祖父の元首相岸信介氏を踏襲した国家主義の呼び戻しだともいわれる。2012年に自民党が発表した改憲草案は、こうした世界観に裏打ちされている。たとえば、家庭内の男女の平等を規定した憲法24条は、改憲草案では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」とされている。つまり、個人ではなく家族を、守るべき単位として規定し、「助け合わなければならない」との義務規定を書き込むことで、女性の家族への無償の奉仕をさらに強める姿勢だ。
「主権在民」から「民を国家に奉仕させるシステム」への再転換によって戦争できる国へ復帰を目指すことは、第二次大戦後の米国を中心とした世界秩序や、基本的人権、平和主義などを柱とする国際社会の普遍的価値から離脱し、米国との衝突を招くとの懸念も出ている。活動家の武藤一羊氏は、これは米国からの自立による国家主義の復活ではなく、国家主義の復活を認めてもらうために米国への一層の忠誠心、軍事一体化、経済的譲歩という卑屈な大盤振る舞いを差し出すというねじれた接合だと指摘する(『戦後レジームと憲法平和主義~〈帝国継承〉の柱に斧を』2016、れんが書房新社)。内輪だけで「遅れた隣国を近代化したアジアに冠たる強い先進国」をはやして盛り上がり、外には「米国の先兵になりますからよろしく」と、すり寄る姿勢だ。そんな内向きの妄想を維持するには、海外報道や事実報道を遮断するしかない。いま進んでいるメディア規制は、こうした内輪だけの盛り上がりの維持のためとも見ることができる。
だからこそ、私たちはいま、世界の中、アジアの中での等身大の自分自身を確認する窓を確保しなければならない。これからやってくる外国人家事労働者・介護実習生を、サービスを提供するだけの都合のいい記号ではなく、対等な生身の人間として直視し、どのように向き合うのかを考えていかなければならない。「従軍慰安婦」と呼ばれた女性たちの存在をなかったことにすることでプライドを取り返すのでなく、彼女たちを通じて、私たちを含む女性全般を性の提供者として国家に奉仕させるからくりを暴き、押し返す試みを強めなくてはならない。
国境や貧富を越えた情報交流によって、私たちは自らを覆う目隠しを打ち砕き、窓をつくることができる。この窓を通じて、自分たちがいまどこにいるのかを確認してこそ、私たちは歩き出す方向を定めることができる。今回の参院選は、新翼賛体制を防ぐための正念場だ。まずはそこへ向かって歩き出すため、アジア女性資料センターも、ささやかな窓のひとつになりたい。
たけのぶ・みえこ/アジア女性資料センター代表理事、和光大学教員
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