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特別掲載:リレーエッセイ「被災地で生きる女たち」(2015年12月)

2016/03/11

『女たちの21世紀』のリレーエッセイ「被災地で生きる女たち」は、被災地で暮らす女性や、原発事故で生活に大きな変更を余儀なくされた方の思いを届けるため、2013年9月からはじまりました。震災から5年の今日、執筆者の承諾を得て掲載します。(2016年3月11日 『女たちの21世紀』編集部)

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『女たちの21世紀』84号、2015年12月掲載

リレーエッセイ 被災地で生きる女たち 10

宇野朗子(福島市より京都府木津川市に避難)

外は雨。真夜中の空間を雨音が満たしています。時折コロコロと聴こえるのは、蛙の寝言でしょうか―。ここは、奈良に近い京都の山里。福島市から避難をして5か所目の住まいです。
避難当時4歳だった娘は、関西弁の小学3年生になり、今は夢の国で遊んでいる模様。夜中に帰ってきた連れ合いも、遠距離通勤の疲れで、深い眠りに落ちました。
ひとり目覚めてパソコンをつなぐと、テロの衝撃と不穏な空気がひたひたと押し寄せてきます。怒り、不安、悲しみの声に混ざって、眠れない母子避難者の小さな声が聞こえてきます。
子どもたちの寝顔を見ながら、この家を追われたらどうやって生きていこうと思い悩み、お酒に逃げてしまう、と綴られるその声に胸が締め付けられます。別の避難者が、人々があなたを見捨てるはずがない、と励ましています。
避難区域がきわめて小さく設定された日本では、避難指示のなかった広大な汚染地域で、住民は、自己判断で避難するか否かを決めなければなりませんでした。避難を決行した人々の多くは、生活と経済の基盤を失った上に、家族や地域の人々との関係を失い深く傷つく経験をしました。やっとの思いで生活を立て直そうとしていた矢先、この夏、福島県と国は、区域外(自主)避難者への住宅支援を、来年度いっぱいで打ち切ることを決めたのです。そして「原発事故子ども・被災者支援法」の基本方針には、「新たに避難する状況にない」という文言が明記されてしまいました。
先の避難者の悲痛な声は、このような中で発せられたものです。帰還を強いられた人、帰還するか思い悩む人、避難を願いながらも避難できずに暮らしている人、それぞれの苦悩があります。
一夜にして家を捨てなければならなかった強制避難者の苦しみもあります。政府は、来年度までに、帰還困難区域以外の避難区域指定を解除していく、という耳を疑うような方針を決定。実際に、楢葉町の避難指示が9月に解除されました。事故原発に近く、被災前よりも格段に深刻な放射能汚染の残る、生活の場を破壊された故郷に、人々は帰れと言われています。
原子力緊急事態の中で4年と8か月。原発事故も被災者もなきものにされようとしています。しかし現実には、約1万4000平方キロメートルに及ぶ地域が放射線管理区域となるほどに汚染され、子どもたちに甲状腺がんが多発しているのです。この国が本当にしなければならないのは、放射能汚染の土壌実測調査に基づいて、避難を含めた被曝防護の権利を保障することです。
私たち避難者は、去る10月29日、「『避難の権利』を求める全国避難者の会」(http://hinannokenri.com)を発足しました。全国に散らばった避難者一人ひとりの小さな声と未来への意志をつなぎ、当事者の声として可視化することで、この現状を変えていきたいと願っています。雨の一粒一粒が川となり、やがて大海に注ぐように。

設立集会集合写真
10月29日、「避難の権利」を求める全国避難者の会が発足しました

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