特別掲載:リレーエッセイ「被災地で生きる女たち」(2014年6月)
2016/03/11『女たちの21世紀』のリレーエッセイ「被災地で生きる女たち」は、被災地で暮らす女性や、原発事故で生活に大きな変更を余儀なくされた方の思いを届けるため、2013年9月からはじまりました。震災から5年の今日、執筆者の承諾を得て掲載します。(2016年3月11日 『女たちの21世紀』編集部)
――――――――――――――――
『女たちの21世紀』78号、2014年6月掲載
リレーエッセイ 被災地で生きる女たち 4
菅野瑞穂(きぼうのたねカンパニー・福島県二本松市)
この地で生きる覚悟
昨年3月に「たねをまくことは、命をつなぐこと」をモットーにきぼうのたねカンパニー株式会社を設立。農業を通して人と人、人と自然がつながる場として農業体験や旅行会社とのツアー企画などを行っている。昨年は250人余りの参加者が現場に足を運び、希望や笑顔のまいた種が福島の大地で着実に芽を出し始めている。
私は5年前、東京の体育大学を卒業後すぐに実家に戻り就農した。地域の基盤である有機農業を親から学び、若い力を武器に地域の宝を見つけ出していこうとブログを書き続けてきた。農業をやろうと思った一番の理由は、農業に夢や可能性を感じたから。生産だけではなく都市と地域や人との関わりを増やすことで、新しい農業のカタチを創っているのではないかと当時はワクワクしていた。1年目は農業の厳しさや理想と現実のギャップを感じながらも、ひそかに思い描く夢を信じて農作業に励んでいた。そして就農2年目になる矢先に震災・原発事故。福島の豊かな大地は「放射能」という見ることも触ることも匂いもない物質に脅かされ、もちろん農家が今まで培ってきた有機土壌もまたたくまに汚染。悔しさとこれからどうなっていくのだろうという不安と葛藤で迷う日々が続いた。
私の実現したいことはココでしかできないと感じていた。だからこそ、放射能と向き合いココで生きていく覚悟を決めた。二本松市東和地区は昔、養蚕が盛んで棚田の原風景が広がる、自然豊かな中山間地。「平らな土地は1坪でも耕す」ことを大切にしていたが、高齢化していく地域には、荒れていく耕作放棄地や過疎という現実が迫っていた。しかし、有機農業を基盤にしてきた東和地区の農家たちは、桑畑の再生のために桑や桑の実を使った加工や商品開発をしてきた。また東和の元気野菜をブランド化し、農薬や化学肥料に頼らない農業を目指し元気堆肥(たいひ)を使った農業を地域全体で取り組むようになった。また10年で新規就農者は30組を越えた。
そんな矢先の原発事故は農家たちにとって作っても売れるのか、食べられるのか、農業をできるのか……現状をまずは「知る」ことがこの地で「生きること」として、自分たちにできることを探し前へと歩み続けた。その背景に、今まで培ってきた地域のつながりや支えあいの精神で困難な状況にも立ち向かい、乗り越えていくという力がこの地域にはあったような気がする。
そんな地域の大人たちの背中を見て私も自分ができることを探し続けようと、田んぼにひまわりを植えるイベントを開催した。少しでも福島の人がひまわりを見て笑顔や元気になってもらいたいと思った。注目されている福島だからこそピンチをチャンスに私ができることがある。農業という現場で発信し続けることに意味があり、お金で買うことができない地域の価値や経験という財産をつみ上げていくことで、新しい農業と福島の未来を切りひらく鍵がそこにはあるのだと思う。