ビルマのこと--シドニーから
2007/10/08こんにちは。会員の大倉弥生です。シドニー在住です。個人的なことですが、私の夫はビルマ人で、1988年の民主化運動に加わっていました。そうした立場から、ビルマに関して投稿させて頂きます。
天安門事件の1年前、1988年にビルマで民主主義を求めて人々が立ち上ったことはあまり知られていないのではないかと思います。今回とは違い、メディアによる報道が大変限られていたからです。
当時は主に学生活動家達が運動をリードし、そこに一般市民、僧侶、果ては一部の兵士も加わったそうですが、結局武力で弾圧されました。私の夫は学生活動家の一人であったため、即座にタイ国境へと逃れました。当時は1ヶ月もすれば事態が好転し、また家に戻れるだろうと思っていたらしいですが、結局19年間、国に戻れずにいます。
人々の要求に暴力で応える、19年前とまったく同じ状況に暗澹たる気持ちになります。
1990年、アウンサンスーチーを書記長とする国民民主連盟が圧勝した選挙結果を無視して、軍部が政権を握り続けているわけですが、その軍事政権に対して日本政府は、「経済発展が民主化を促進する」という論理で経済援助を続けてきました。その論理が機能していないことが、今回の事態で明らかになったのではないでしょうか。
以前、ビルマ人の友人たちは「日本のODAはビルマでは銃弾になる。だから、ODAをストップしてくれ」と言っていました。勿論、比喩を込めてのことなのですが、今回、長井さんはその銃弾で殺されたのですから、なんと皮肉なことでしょう。
日本ではどの程度の映像が流されているのかわかりませんが、こちらでは、市民のデモ参加者が蹴られ殴られ、頭から血を流しながら拘束されていく様子、沼に浮かんだ青黒い僧侶の遺体など、暴力のむごさを見せつけられる報道が続いています。
拘束された人たちがどうなっているのか。
そして拘束された人たちだけではありません。その家族たちさえ、どんな目に遭うかわかりません。私の夫の経験から言えば、デモには参加していなかった彼の父親、兄までが何ヶ月も拘束され、拷問されたそうです。
アジア女性資料センターが声明を出されたことを心強く思います。
また、在日ビルマ人たちの中には表立って行動することで入管に拘束されることを怖れ、自由に動けない人たちがたくさんいるはずです。日本に住む皆さんが、在日ビルマ人たち(1988年の武力弾圧から逃れて日本に来た人たちもたくさんいます)の強い味方になってくれることを願っています。
“Please use your liberty to improve ours” (あなたに自由があるなら、私たちの自由のために使ってください) アウンサンスーチー
大倉弥生