2006/8/5~9 北コリア・スタディツアー報告
2006/08/14北コリアスタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。
今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
◆8月5日(土)
朝6時20分という朝早い時間でしたが、誰1人遅れることなく羽田に集合しました。
途中、関空からの参加者になかなか会えなかったり、お酒を機内持ち込みできない中国でセキュリティチェックにひっかかったりと、小さなトラブルはありましたが、無事瀋陽でビザを受け取り、平壌に向けて高麗航空に乗ることができました。
機内では、手作り感あふれる高麗航空のうちわを片手に、機内で配られる冊子を眺める人、早速ビールに挑戦する人と思い思いに過ごし、1時間程で平壌順安国際空港に到着しました。
少し厳しい入国審査の後、携帯電話を空港に預け、無事今回の受入先である対文協の3人にお会いすることができました。
バスの中で、「基本的にはどこを撮影してもよいが、軍事施設、相手が嫌がっているときは遠慮してほしい、自分たちだけでホテルの外には出ないでほしい」などの注意を受け、平壌高麗ホテルにチェックインしました。
◆8月6日(日)
この日は片道約2時間をかけて板門店に行き、高麗の都、開城の民俗旅館で昼ごはんを食べて帰ってきました。
道すがら、北コリアでは1946年に農地解放が行われ現在は共同農場で生産をしていること、国を挙げて農業に集中する年で春秋の農繁期には対文協のスタッフだけでなく、学生や人民軍も農業に従事するという話をききました。
-板門店
朝鮮人民軍板門店代表部参謀中佐の李さんの案内で、朝鮮戦争の停戦協定調印式場、軍事停戦委員会会議場、停戦ラインである軍事境界線などを見学しました。
最後に李さんから「南北統一するためにはどうしたらいいでしょうか」という宿題をもらいました。
-祖国統一三大憲章記念塔
帰りに平壌市統一道入口の「祖国統一三大憲章記念塔」を見学しました。
三大憲章というのは、
1.統一のための三大原則(1972年「7.4南北共同声明」)
自主、平和、民族大団結の三大原則に基づき祖国を統一する。
2.高麗民主連邦共和国創設方案(1980年朝鮮労働党大会で主席が提示)
北と南は、現存する二つの制度をそのままにして統一し、外交、国防のみを1つの政府として行う。
3.全人民団結のための10の綱領(1993年主席が提示)
の3つだそうです。
夜はお食事会でした。帰ったら自分の目で見たことを伝えてほしい、また日本のメディアの権力追従、日本の一部の勢力が戦争を引き起こす準備を進めていることは容認できない、見解や方法論は違うかもしれないが平和のために共に行動していきたいというお話がありました。その後、ミサイル発射について少し意見交換もすることができました。
8月7日(月)
朝7時から対文協の方の案内で、平壌の人たちがバスやトロリーバスで忙しそうに職場に向かうなか、のんびり平壌駅周辺を散歩しました。
-朝鮮革命博物館
1860年代から1945年までの日本の蛮行について学びました。
-日本軍慰安婦の証言
金英淑(きむよんしく)さん、郭金女(くぁくぐむにょ)さんの証言を聞き、昼食をごいっしょしました。
「日本人は見るのもいやだし、おみやげをいただいたがありがとうとも言いたくない、これまで何人かの人が証言を聞きに来てくれたがまだ何の補償もされていない、多くの友人が殺されたのがくやしい、日本に行って日本の人民の前で訴えたいが日本は入国させてくれない」ということばが印象に残りました。
-平壌産院
女性のための総合医療機関。慰安婦のハルモニの診察もしたそうです。
-平壌9.15週託児所
幼稚園に行く前の子どもたちを月曜から週末まで通して預かっています。
-平壌サーカス劇場
空中ブランコにドキドキしました。
8月8日(火)
この日も朝7時から大同江まで散歩に連れて行ってもらいました。途中、マンションの前を通り、平壌の人たちの生活を垣間見ることができました。
-強制連行被害者、被爆者の証言
強制連行被害者である全竜福(ちょんりょんぽく)さん、ナガサキで2歳のときに被爆された朴文淑(ぱくむんしく)さんのお話をききました。
「連行されただけでも腹立たしいのに日本政府は何の対策も講じていない、多くの人が謝罪と補償を受け取ってくれと言って息を引き取る、日本は唯一の被爆国として反核・平和を求める国になるべきなのに軍国主義に向かっているのは被爆者への蹂躙だ」ということばが印象に残っています。
-祖国解放勝利記念館
朝鮮戦争時に米軍がはたらいた蛮行について学びました。朝鮮戦争時に人民軍が撃墜した米軍の飛行機が何機も展示してありました。
-刺繍研究所
金日成さんの妻、金正淑さんが設立したという研究所を見学しました。400人のスタッフが刺繍製品と技術の国内外への普及、刺繍制作に従事しているそうです。
-平壌地下鉄
(核シェルターを兼ねているという)平壌地下鉄の千里馬線復興駅から栄光駅までの一駅間を車両一台貸切ではありましたが乗せてもらいました。150メートルもあるエスカレーターで深さ100メートルまで一気にもぐりました(ちなみに東京の地下鉄は深くても約30メートル)。復興駅と栄光駅は照明、壁面ともに豪華でした。ちなみに1973年に千里馬線、1978年に革新線が開通、総距離は40㎞だそ
うです。
夜は再び食事会をしました。食後に、朴永心(ぱくよんしむ)さんが前日の朝に亡くなられたという悲しい報告を受けました。
8月9日(水)
今日も朝から散歩に連れて行ってもらったようです。3日も続けて散歩をしたいと言った団体はこれまでなかったとのことで驚かれました。早く対文協の方を煩わせずに散歩ができるようになるといいのですが。
10時半にホテルを出発し、空港で携帯電話を返してもらい帰路につきました。途中、またもやお酒のことでひっかかったり、飛行機が被雷して1時間遅れになったりということはありましたが、無事夜の10時半に羽田に到着しました。
もっと詳しい報告は参加者のみなさんがしてくださると思います。楽しみにしていてください。
今回のツアーでは、慰安婦、強制連行、原爆の被害者の方々が毎年のように亡くなっていて謝罪、補償が急務であること、軍国主義に向かっている日本で私たちの運動がまだまだ足りないということを率直に指摘されました。また、なかなか会う機会のない国の人だけに、話す内容に制限はあるにしろ、実際に会ってお話をする機会をもつことは大切だと改めて感じました。
ツアー中にこれからどう運動していこうかという話もいろいろしたので、それを形にしていきたいと思います。