2005/3/26~4/3 カンボジア・スタディツアー報告
2005/04/06会員のみなさま
3月26日から4月3日まで20名でカンボジアスタディツアーに行ってきました。
国際子ども権利センターの代表でアジア女性資料センターの長年の会
員さんでもある甲斐田万智子さんと、運営委員の清末愛砂さんの親友
でカンボジア在住6年半の中川香須美さんという素晴らしいコーディ
ネーターお二人のおかげで、非常に充実した内容のツアーでした。
最高気温が40度近くにもなるカンボジアから戻ってまだ頭も体も日
本になじむのに時間がかかりそうですが、頭がカンボジアモードのう
ちにツアー報告を簡単にします。参加者のみなさんによるツアー報告
は次々号の機関誌(夏号)に掲載される予定です。お楽しみに!!!
みなさんもご存知の通り、カンボジアはクメールルージュ時代、また
その後の長い内戦から現在復興の真っ只中です。日本の戦後の復興時
代を私は知らない世代ですが何が違うのだろう・・・と考えました。
おそらくカンボジアの戦後の復興は凄まじいグローバル化から自由で
はありえないということだと思います。市場主義経済の暴力的な参入
により貧富の差はますます拡大し、公的であるべきセクターも次々と
民営化され、外国資本により土地が次々と取り上げられ土地無し農
民は激増、想像を絶する貧困が生み出すのは搾取的移住労働、人身売
買、女性の商業的性搾取、そしてDVや強かんのような少女や女性に
対する暴力。そして政治、司法、公的権力の腐敗。
カンボジアの人権活動家たちが直面している問題は本当に巨大で、で
もそのカンボジアに巨額の資金援助をしているのは日本政府です。元
女性大臣のムーソクアさんはその日本政府に税金を払っている私たち
に、資金には感謝するが、資金援助とは量よりその質が問われる。資
金がどのように使われているかモニターすることも納税者の責任では
ないかと言われました。
また、今回のツアーで痛烈に感じたことは、カンボジアで出会ったす
べての人が何らかのかたちでクメールルージュ期の暴力、虐殺、紛争
によって大きな影響を受けているという現実でした。「戦争」が表面
的に終わったように見えても、その「戦争」を生き抜いてきた人びと
の心の中の「戦争」は続いているように感じました。
大きな問題が山積するカンボジアですが、そこで出会った人権活動家
の女性たち、男性たちが正義のために闘っている姿を見て、とても勇
気付けられ、私たちのこれからの活動に力をもらってきたツアーでし
た。
下記に各団体について簡単に報告します。
—–カンボジアスタディツアーの簡単な報告——
3月26日(土):日本→カンボジア移動
3月27日(日)
★甲斐田万智子さんと中川香須美さんからレクチャー。
これからカンボジアのNGOを訪問する前の事前レクチャーは、事前に
たくさんの知識を持っていなかった私にはとても有意義なものでし
た。
★夕方、クメールルージュ時期に政治犯を収容し拷問場所に使われた
学校跡の「トゥールスレーン博物館」に行きました。収容者のたくさ
んの写真の中には幼い子ども、赤ちゃんとその母親も混じっていまし
た。グラウンドには学校だったことを偲ばせる鉄棒などもありました
がそれまでも拷問道具に使われたそうです。甲斐田さんによると数年
前までまだ血の匂いがしていたそうです。ちょっと言葉を失うような
場所でした。
3月28日(月)
★ADHOCカンボジア人権開発協会
クメールルージュ期の元政治犯トン・サライさんによって設立された
NGOです。事務局長と女性局のモニーさんにお話しを伺いました。人
権(女性の人権)、民主主義、法の支配の3つをテーマに教育、調
査、女性保護、アドボカシーの4つの活動を行っています。今一番大
きな問題は「土地問題」。権力者が農民から土地を取り上げ、そのこ
とが貧困や人の移動を引き起こしているそうです。また政治、教育、
病院でも賄賂が横行し、「汚職」が大きな障害になっているといいま
す。
女性局のモニーさんはクメールルージュ期に強制結婚させられた女性
です。クメールルージュによる強かんからモニーさんを守るためにお
じいさんはモニーさんを水がめにいれて隠したといいます。両親や兄
弟は殺されてしまいました。ADHOCは人権団体とは言え、「女性の人
権」も尊重されるべき人権であるということが男性スタッフになかな
か理解されず、強い反発があった中、辛抱強く訴え続けようやく「女
性局」を設立。それでも予算がまわってこない、内部での差別などが
あるそうです。また強制結婚させられた夫はモニーさんの活動をなか
なか受け入れてもらえず当初ADHOCの事務所まで乗りこんできてモニ
ーさんを罵ったりしたそうですが今では理解していると言っていまし
た。文字で表しづらいのですが、このモニーさんは強い信念を持った
とても素敵なフェミニスト活動家でした。
★AFESIPのAartiさんとランチ
AFESIPのAartiさんは、カンボジアで買春で捕まった日本人男性「カ
ナエマサト」のことを中心にお話しを聞きました。「カナエマサト」
は買春宿に押し入ったカンボジア警察に2003年に捕まり裁判にかけ
られましたが、おそらく金銭で弁護士などを買収し保釈され、日本に
帰国しました。一緒に買春宿に居たベトナム人の少女たちはAFESIP
のシェルターに迎えられたそうです。押収された証拠の中には本人が
少女たちを強かんするビデオがあったにもかかわらず、偶然カンボジ
アに来ていた日本の警察や日本大使館も全く協力的ではなかったとい
います。AFESIPに滞在していたベトナム人の少女たちへのインタビ
ューも拒否したそうです。にもかかわらず日本の警察は8ヶ月後に再
びAFESIPに来て少女について訪ねてきました。もちろんAFESIPは少
女たちをそんなに長い間泊めておくこともできずにベトナム人少女た
ちはベトナムに帰国した後でした。現在も日本大使館を通して「カナ
エマサト」を訴追するように働きかけているけれど返事はないそうで
す。
カンボジアの新聞では大きくとりあげられていた事件ですが日本の私
たちは全く知らず、おそらく「カナエマサト」は何もなかったかのよ
うな顔をして日本社会で生活しているのかと思うと非常に腹立たしい
思いがします。カンボジアの観光客は韓国人についで日本人が第2
位。買春客は「カナエマサト」一人ではないでしょう。日本で私たち
に何ができるか考えていきたいです。
★DC-Camドキュメントセンターカンボジア
クメールルージュ期に起こったことを記録するセンターです。文書
(公文書、日記など書かれたもの)、モノ(当時使われていたりした
もの)、そして被害者の声(オーラルヒストリー)の3つを中心に収
集しています。カンボジアで唯一名乗り出た、クメールルージュによ
る強かんの被害者Tam Kimさんのドキュメンタリービデオを見せても
らいました。Tam Kimさんが受けたような「女性に対する暴力」をク
メールルージュ法廷で訴追の対象となるようにしたいということでし
た。代表のチュハンさんに「このような活動に取り組む動機はなんで
すか?」という問いかけをしたところ、「母親のためです」という答
えが返ってきました。クメールルージュ期に子どもだったチュハンさ
んは妊娠していた姉のために食べ物を盗んだことがあるそうです。そ
のことでチュハンさんはクメールルージュから罰として鞭打ちを母親
の前で受けました。そのとき母親は立ち去ってしまったそうで、母親
に対して憎しみを覚えたそうです。しかし当時「泣くこと」すらク
メールルージュによって禁止されていたため、チュハンさんの母親は
鞭打ちを受けているチュハンさんから立ち去ることで「泣く」罪によ
ってもっとひどい罰を受けることから家族を守ったのだとチュハンさ
んは後になって知りました。カンボジアにいるすべての母親が同じよ
うな体験をしているといいます、チュハンさんのいう「母親」とはカ
ンボジアにいるこのようなすべての母親のことでした。
★Womyn’s Agenda for Change
縫製工場で働く女性たちが仕事が終わってかけつけてくれました。ジ
ーンズで有名なアメリカのリーバイストラウス社の工場がたくさんあ
るそうです。ひどい労働環境の中、非常に低賃金で働かせられていま
す。そのような中、アメリカ政府による割り当て制度(カンボジアか
らある一定の衣料を輸入するという制度)が終わり、縫製工場は次々
と閉鎖を余儀なくされ、仕事を失う女性たちも増えているそうです。
英語ですがとても詳しいプレゼンテーションがホームページからダ
ウンロードできます。http://www.womynsagenda.orgでGarment
Workers(1.8mb)をクリックしてみてください。
ここではセックスワーカーのグループ、「Women Network for
Unity」のメンバーからも話しを聞きました。現在深刻な問題はセッ
クスワーカーに対する集団強かんと「Tenofovir」という抗HIV薬の
実験台としてセックスワーカーが使われることだそうです。「集団強
かん」についてのビデオを見せてもらえました。この問題の深刻な点
は、集団強かんをしている男たちが相手がセックスワーカーという
ことで「犯罪を犯している」という意識がないこと、また司法に訴え
たとしてもセックスワーカーの訴えがまともに取り合われないことで
す。この後、買春宿のある通りをグループのメンバーと訪問しまし
た。ピンクのライトで入り口が照らされ、女性たちは入り口の外に並
んで座っていました。私は30歳を過ぎたらどうなるのか聞いてみた
ら、クズ拾いもしくは家政婦になることという返事でした。警察によ
る嫌がらせも多発しているようですが、彼女たち自身によるパレード
などもプノンペンで開かれ、相互サポート、自分たちのエンパワメン
トなどに力を入れる団体です。
3月29日(火)
★CWDAカンボジア女性開発協会
一昨年、アジア女性資料センターでお話しをしてくださったキエン・
スレイ・パルさんが代表の団体です。事務所の建物の中に職業訓練の
クラスがあり、織物や英語、タイピング、コンピューター、電話対応
スキルなどのクラスを開いています。徹底して女性のエンパワメント
やコミュニティビルディングに力を注いでいるグループです。コミュ
ニティが知識を得て、力をつけることによって、自分たちのために必
要な情報センターを作ったり、人身売買からコミュニティを守った
りする力をつけられることを指摘されていました。
★HCC子どものためのヘルスセンター
少女や女性の人身売買の防止活動と被害にあった少女たちの保護活動
をしています。シェルターにクラス子どもたちと一緒にランチを食べ
ました。私たちツアー参加者たちで「シャボン玉」の歌を歌い、折り
紙でおった風船や参加者が持参した紙風船、本当のシャボン玉などま
で持参されていた方もいらっしゃい楽しいひとときでした。また篠笛
と尺八を持参している参加者による演奏も披露されました。その後
HCCの子どもたちによって、人身売買防止のためのロールプレイによ
るパフォーマンスを見せてもらいました。HCCの子どもたちが経験し
た実話が元になったものです。それぞれに将来の夢を聞いたら、先生
になりたい、弁護士になりたいという意見がでて、教員が多い参加者
の中には「日本で同じくらいの年代の子どもたちに聞いたらあまり将
来に夢の持てない社会なりの答えしか返ってこないかもしれない」と
いう感想もありました。
★AFESIP困窮する女性たちのために行動する会
1996年にカンボジア人のソマリさんとフランス人生物学者ピエール
さんによって設立された団体です。ソマリさんは海外から多くの人権
賞を与えられるほどの活動家です。少女や女性の人身売買の防止活動
と被害にあった女性たちの保護活動をしています。41号の機関誌
「特集:人身売買」に甲斐田万智子さんによって紹介された「カンボ
ジア:人身売買に対する取り組みと立ちはだかる壁」の中に、
AFESIPのシェルターが襲撃されそこにいた少女や女性たちが連れ去
られた事件が紹介されました。人身売買が組織犯罪であり、カンボジ
アのNGOの活動家たちが命を張って活動していることが示された記事
ですが、その困難の中とにかく被害にあった女性たちの人権を考えて
活動している団体です。
★この日の夜はオプションで中川香須美さんが教鞭をとる、大学の
「ジェンダー学」に参加しました。カンボジア人、ツアー参加者を交
えた3つのグループに分かれてディスカッションをしました。ジェン
ダー学を学んでいるカンボジア人の男子学生たちは「ジェンダー」の
問題に対して模範回答で答えてくる学生が多く、彼ら自身の声を聞け
ることができないような気がしました。ただ女子学生の中には「自分
の母親、祖母の年齢のみなさんがこうして女性問題のことに関心をも
ってカンボジアまで来られていることにとても勇気付けられました」
と話す学生もいました。いろんな意味で考えさせられる時間でした。
3月30日(水)
★LSCW女性と子どものための法的支援
人身売買に関する調査について主に話しを聞きました。この日まで女
性の性的搾取のための「人身売買」に焦点を当てて話を聞いていたの
ですが、この日男性の人身売買について紹介されました。特にタイ国
境を越えたトラート州へ漁業のために連れていかれる男性たちのこと
です。本人たちはお金を払って仕事を紹介してもらっているため自分
たちが「人身売買」の被害者だと自覚はしていないが、調査によると
そこには契約の不履行やとんでもない搾取が横行し、「人身売買」と
呼ばざるを得ないような状況だそうです。そしてそのような男性がた
くさん集まる場所には女性たちが性搾取を目的に集められているとい
うことでした。また、法的支援を行う団体として、人身売買で1例、
強かんで4例これまで勝訴したということでした。ただし、勝訴する
には目撃者や医学的な証拠が必要で、カンボジアでは体内に残った精
液を検出する技術などが無いため非常に難しいそうです。強かん事件
で勝訴した裁判の被害女性はいずれも10歳前後の幼い少女だったそ
うです。どこの団体でも指摘されましたが最近「強かん」の報告が非
常に増えているそうです。中には父親が娘にたいして、もしくは祖父
が孫娘に対する強かんも増えています。LSCWのスタッフによると、
この強かんの増加の背景には、本当に増えているのか、それとも告発
する女性が増えたために強かんが増加しているように見えているのか
分からないということでした。
★CDPカンボジア弁護団体
コーディネーターの中川香須美さんがスタッフとして働いている団体
です。人権侵害を受けた人たちのための法的支援のために弁護活動を
行っています。代表、人身売買局、女性局の方々から話を聞きまし
た。「民主主義」を武器ではなく「司法」によって実現することが目
的です。そのために①無料の弁護支援、②法の普及活動、③法律作
り、すでにある法律の改正のためのアドボカシーの3つが大きな活動
内容です。クメールルージュの幹部「キュー・サンパン」氏までも法
的支援を求めてきたといいます(断ったそうです)。法的支援を求め
てきた場合、まずすることはその人たちが法的にどのような権利を持
っていて、どのように法的に守られるかということを知ってもらうこ
とだそうです。日本においても、私たちは法によってどのように取り
締まられるかということばかり知っていて、私たち自身法によってど
のように守られ、どのような権利があるかということは知らされてい
ないと気づかされました。
★夜は再び中川さんの大学に訪問。今回は大学院の「国際人権論」の
授業で参加者の一人中原道子さんが「女性国際戦犯法廷」についての
レクチャーです。学生はその前のクラスで「女性法廷」のビデオを
見、またこれからクメール・ルージュ法廷も開かれるということでと
ても興味を持って議論が行われました。中原さんの話で私が個人的に
もっとも印象に残ったのは、国際法も一般の法律も殆どが男たち(白
人)が作ってきたもの。もし使える法律がないのであれば私たち自身
で作っていくべきだということでした。日本でも男女雇用機会均等法
やDV法、子ども買春ポルノ禁止法も女性たちの運動で勝ちとってき
たのだ、と今更ながら感じました。
3月31日(木)
★元女性大臣ムーソクアさん
女性の人権のために闘い続けるムーソクアさんのインタビュー記事
(http://www.globalfundforwomen.org/work/trafficking/garden-of-evil.html)
を事前に読んでいた参加者一同、とっても楽しみにしていたムーソク
アさんとの面会でした。当日もバスで片道8時間もかけて村人の話を
聞いて戻ってきたところというようなお忙しいところお話を伺うこと
ができました。人身売買について、政治について、家族との関係につ
いて・・・たくさんのお話でここに書ききれませんが、彼女は自分の
魂が安らげるためには、カンボジアの女性たちすべての魂が安らぐこ
とができなくては安らげない。だから闘い続けているのだという言葉
が印象に残っています。
★女性メディアセンター
女性たちによる女性の人権のためのメディアセンターです。メディア
キャンペーン、ネットワーキング、ラジオ放送、テレビ放送を行って
います。いくつかテレビで放映されたものを見せてもらいました。ジ
ャッキーチェンがユニセフ大使でカンボジアに来たときに作られた
HIV・AIDS防止キャンペーン広告は、コンドームのアニメとジャッキ
ーチェンがカンフーでHIV/AIDSと闘ったり、カラオケビデオにもパ
ートナーは一人にしよう、コンドームで自分を守ろうというメッセー
ジを流したり、とても有効ななりかただなぁと思いました。テレビを
見ることができない遠隔地の村にはテレビモニター、ビデオデッキ、
小さな発電機を持ちこんでビデオで村人に見てもらうそうです。村長
さんに、ミーティングをするといっても集まらないが、ビデオを上映
すると言うと5kmも離れた村からも人がやって来ると感謝されたそ
うです。ただ、クメール語でしか放送がないことや資金的にすべて援
助に頼っていることが、これからどのように持続可能な活動を続けら
れるか、カンボジア国内の他の民族の人も考慮した活動にしていける
かの課題かもしれません。
4月1日(金)
前日の夜プノンペンからアンコール遺跡で有名なシェムリアップに移
動しました。
この日はまるまる1日観光でアンコールワットやアンコールトムを回
りました。モニィさんというツアーガイドの方は、クメールルージュ
に父親を殺され、内戦中に徴兵されるのを避けるために歩いてタイ国
境の難民キャンプに逃れた男性です。難民キャンプにいるときに日本
語を勉強したという日本語はとても上手でした。アンコールワットの
中に内戦中の銃痕を見つけたり、アンコールトムの遺跡のレリーフに
子どもを片手に銃をもう一つの手に担いで進軍する女性の姿を見て複
雑な思いがしました。
4月2日(土)
朝はバスで1時間ほどのバンテアイ・スレイというお寺を訪ねまし
た。このお寺までの道のりには内戦中に多くの地雷があり90年代中
旬までは「バスで観光」などとは言えない状況だったそうです。
★クメール伝統織物研究所
日本人の男性が、カンボジア内戦で途絶えていたカンボジア伝統の織
物の復興と保存のために始めた活動です。女性たちがたくさん織物を
していました。今では500人ほどの女性たちが糸を紡いだり、染織、
機織りなどに従事しているといいます。
★アキラ地雷博物館
ボランティアで地雷除去作業を棒切れ一本で続けているカンボジア人
「アキラさん」の私的地雷博物館。手作りの博物館には活動に感銘し
たボランティアがいつも何人かいるそうです。たくさんの地雷が並べ
られ、それは内戦中のものもあれば、ベトナム戦争中のアメリカ軍に
よる爆弾もありました。地雷の数は1000万以上あると言われていま
す。まだまだ全てが除去されているわけでもなく、今でもたくさんの
カンボジア人が子どもも含めて犠牲になっています。しかし参加者の
一人がおっしゃっていた「地雷は危ないがそこにじっとしていて取り
除くことができる。でももっと恐いのは人間だ」という言葉が忘れら
れません。
ある参加者は、カンボジアでは貧困、女性に対する暴力などたくさん
お問題があるが、主語を「日本では・・・」に置き換えてもいいくら
い日本でも同様の問題があると指摘され、その通りだと思いました。
日程が長かったため、訪問団体も多く、簡単な報告がこんなに長くな
ってしまいました。読んでくださってありがとうございました。
今年度のツアーはヨルダン、韓国を考えています。ツアーでは本当に
短期間でアジア各国の女性活動家と出会うことしかできないかもしれ
ませんが、暴力的な経済のグローバル化と闘うことは、人とつながる
ことによってしか成し遂げられないようにも思います。また、一人で
はあまりにも微力で押しつぶされそうになることもありますが、人と
出会うことでがんばり続けることができます。
ツアーの訪問先で出会った人たちだけでなく、ツアー参加者同志の出
会いもとても貴重です。私も今回も参加者のみなさんから多くのこと
を学びました。
これからもアジア女性資料センターでは、機関誌、ツアー、セミナー
を通して人とつながって行けるといいなと思います。これからもどう
ぞよろしくお願いします。
松本真紀子