松井やよりさん(1934~2002)
「アジア」と「女性」をテーマに、生涯、グローバルな視野で活躍したジャーナリスト・活動家の松井やよりさんは、アジア女性資料センターを1994年に設立し、2002年に亡くなるまで代表をつとめられました。
● 生涯
松井やよりさん 1934年、ともにキリスト教会の牧師であった父と母の下に生まれ、東京で育つ。日本が軍国主義に覆われていた時代、周囲からの迫害を経験しながらも、「母からは女性の自立を、父からは平和や戦争責任の考え方を学んだ」という。高校生のときに重い結核をわずらい、死の恐怖におびえながら広い世界へと飛び出すことを夢見て4年間を病床ですごした。
1950年代、大学生として留学したアメリカとフランスでは人種差別を経験し、帰路には、西洋諸国の植民地化と日本の侵略によって貧窮したアジアの人々の状況に大きな衝撃を受けたという。
中国の民衆の闘いをレポートしたアメリカ人女性ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを尊敬していた松井さんは、1961年に朝日新聞に入社して初の女性記者となる。企業社会の女性差別に直面しながらも、サリドマイド事件や水俣病など、高度経済成長期に日本各地で頻発していた公害問題をレポートし、さらに日本企業によるアジアへの公害輸出にも目を向けていった。
1970年代、アメリカで始まっていたウーマンリブの思想に触れ、アジアと女性の視点に立ったジャーナリストとしての基盤を確立する。1970年に「ウルフの会」、1973年に「キーセン観光に反対する女たちの会」結成に参加。1977年にアジア女性資料センターの前身である「アジアの女たちの会」を結成し、以後、アジアの民主化支援、観光開発、開発援助、人身売買、日比混血児などの問題にとりくんでいった。
1981~85年にはシンガポール特派員としてアジア18カ国を取材。85年に社会部編集委員となり、アジアの人権,環境、開発、南北問題などを精力的に取材した。
1994年に朝日新聞を定年退職後、アジア女性資料センターを設立し、本格的なNGO活動を始める。1994年3月「女性の人権アジア法廷」、1994年10月「東アジア女性フォーラム」、1995年「『ODAとアジア女性』国際会議」、1997年10月「『戦争と女性への暴力』国際会議」など、いくつもの国際会議を成功させた。なかでも3年の準備期間を費やして2000年12月に開催された「女性国際戦犯法廷」は国内外で大きな反響を呼んだ。
2002年春、肝臓ガンが発見され病床に就く。最後まで未来への希望を語り続け、同年12月27日に永眠。その遺志を受けて「女たちの戦争と平和人権基金」「女たちの戦争と平和資料館(wam)」が設立されるなど、現在も日本と世界の多くの女性活動家たちに勇気とインスピレーションを与え続けている。
さらに詳しく
・女たちの21世紀No.34『50人が語る松井やよりの人と仕事』
・松井やより全仕事(wamカタログ3)
● 松井やよりさん著作リスト
•『現代を問い直す旅』(1972年 朝日新聞社)
•『女性解放とは何か』(1975年 未来社)
•『人民の沈黙』(1980年 すずさわ書店)
•『魂にふれるアジア』(1985年 朝日新聞、1992年 朝日文庫)
•『女たちのアジア』(1987年 岩波新書)
•“Women’s Asia”(1989年 ZED Books, London)
•『アジア・女・民衆』(1987年 新幹社)
•『アジアから来た出稼ぎ労働者たち』(共著)(1988年 明石書店)
•『市民と援助―いま何ができるか』(1990年 岩波新書)
•『アジアに生きる子どもたち』(1991年 旬報社)
•『NGO.ODA援助は誰のためか』(編著)(1992年 明石書店)
•『アジアの観光開発と日本』(1993 新幹社)
•『日本を問うアジア―開発・女性・人権』(1994年 部落解放研究所)
•『北京で燃えた女たち』(1996年 岩波ブックレット)
•『女たちがつくるアジア』(1996年 岩波新書)
•“Women in the New Asia”
(英語版 1999年 ZED Books, London、インドネシア語版 2002年)
•『日本のお父さんに会いたい―日比混血児はいま』(編著)(1998年 岩波ブックレット)
•『アジアの女たち』(1998年 旬報社)
•『グローバル化と女性への暴力―市場から戦場まで』(2000年 インパクト出版会)
•『地球をめぐる女たちの反戦の声―テロも戦争もない21世紀を』(編著)
(2001年 明石書店)
•『Q&A「女性国際戦犯法廷」-「慰安婦」制度をどう裁いたか』(編著)
(2002年 明石書店)
•『20人の男たちと語る性と政治―松井やよりフェミニズム対話集』(2002御茶の水書房)
•『愛と怒り 闘う勇気―女性ジャーナリストいのちの記録』(2003年 岩波書店)
● 『女たちの21世紀』から松井さんの記事を読む
•No.34 アジア女性資料センターに托す思い(2002年10月 病床でのインタビュー)
•No.32 私の生き方の原点(2002年3月 講演)
•No.28 米国テロ報復戦争に乗じる国家主義に抵抗しよう(2001年10月)
•No.26 人種・マイノリティ差別と女性差別―複合差別にどう取り組むか(2001年春)
•No.24 武力紛争と女性―暴力の被害者から平和の創り手へ(2000年10月)
•No.18 NGOのあり方を問う―どんなNGOを強めるのか(1999年4月)
•No.17 戦時性暴力は裁かれなければならない(1999年1月)
•No.16 グローバル化と国際移住労働の女性化(1998年7月)
•No.15 経済のグローバル化とは何か?(1998年4月)
•No.14 「戦争と女性への暴力」国際会議はどんな意味があったのか(1997年12月)
•No.12 アジアの人権論争-女性の視点から(1997年9月)
•No.11 日本国家はどのようにマイノリティを切り捨ててきたか(1997年6月)
•No.10 保守派女性陣の言葉の暴力(1997年3月)
•No.9 セクシュアル・ライツとは何か~性暴力と性の商品化のない社会をめざして~
(1996年12月)
•No.8 アジア女性たちの無償労働と日本の私たち(1996年9月)
•No.6 貧困の女性化とは何か(1997年12月)
•No.5 北京から21世紀へ-私たちの課題(1995年10月)
● 開催した主な国際会議
・女性の人権アジア法廷(1994)
日時:1994年3月10-12日
プログラム:
3月10日 プレ・イベント「性暴力犠牲者追悼の夕べ」とキャンドルマーチ
3月11日 ジャパン・デー 分科会「人身売買と性産業」「アジアからの花嫁と子ども」「慰安婦問題」「男性買春問題」
3月12日 国際公聴会 第1部「女性の人身売買」第2部「女性への戦争犯罪」(Part. 1「米軍基地と国連PKO」Part. 2「慰安婦問題」)
・第1回東アジア女性フォーラム(1994)
本会議:1994年10月20日(木)~22日(土)かながわ女性センター
東京シンポジウム:1994年10月23日(日)日仏会館ホール
東アジア女性フォーラム報告書表紙 東アジアの女性たちが、地域に特有の女性/ジェンダー問題について経験を共有し、行動戦略を議論するフォーラムのアイデアは、北京女性会議の開催前夜、1993年にマニラで開かれたアジア太平洋NGOシンポジウムで生まれました。第1回目のフォーラムは1994年に日本の江ノ島で開催されました。その後、韓国(1996)、モンゴル(1998)、台湾(2000)、香港(2003)、中国(2006)がホスト国となって、これまで6回開催されています。
★報告書は、アジア女性資料センター資料室で閲覧できます。
・ODAとアジア女性国際会議(1995)
日時:1995年3月18-21日
プログラム:
3月18-19日 ワークショップ
3月20日(月)外務省、JICA、OECF訪問、NGOとの交流
3月21日(火)13:30-17:00 上智大学 国際シンポジウム(一般公開)
主催:アジアの女たちの会
世界一の援助大国である日本のODAの実態を、女性の視点で問い直すことを目的とした国際会議。フィリピン、タイ、インド、マレーシア、インドネシア、カンボジア、バングラデシュ、ネパール、スリランカ、中国など、援助受入国の女性たちと、40人近い日本女性のプロジェクトチームが、ワークショップで討論し日本政府へ共同提言を行った。
・「戦争と女性への暴力」国際会議(1997)
国際セミナー:10月31日(金)~11月2日 東京ウィメンズプラザ
公開シンポジウム:11月3日 全電通ホール
主催:
「戦争と女性への暴力」国際会議実行委員会(日本)・女性の人権アジアセンター(フィリピン)
国連女性に対する暴力特別報告者のラディカ・クマラスワミさんが「戦時・武力紛争下の女性に対する暴力」報告書を出すにあたり、「慰安婦」問題や米軍基地問題に取り組んできた日本とフィリピンの女性活動家が準備したこの会議では、日本軍性奴隷制、日本軍による集団レイプ、軍事基地周辺の性暴力、カンボジアPKO、東チモールやビルマにおける軍政下の暴力、南アジア、旧ユーゴスラビア、ルワンダ等における民族紛争下のレイプなど、過去および現在におけるさまざまな形態における女性に対する暴力が取り上げられた。
「戦争と女性への暴力」国際会議資料集
『女たちの21世紀』No.13「戦争と女性への暴力」国際会議特集号
・「女性国際戦犯法廷」(2000年)